2008-02-20 ■ クリムトやエゴン・シーレはなにかに耽るじょせいの素描や油彩をおおくのこしました。それをみつめる画家に気をとめることのない、ひきつけるのに、つきはなすようなじょせいたちを、うつくしいとかんじたからだとおもいます わたしにはそんなうつくしさはないけれど、そういうじょせいになりたい。やすやすとふれたらこなごなにくずれさるわたしだとおもわれたい。 わたしの主観までおかせた気にならないでほしい、いつまでもわたしには客観的であって、あくまでわたしを対象とおもっていてほしい。