2017-01-01から1年間の記事一覧

『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』を観た。お迎えと闘うかぐや姫のようなお話だった。もしもわたしたちにお迎えがきたとして、クボのように拒み闘うことができるのかしら。苦しみや痛みでいっぱいの世界を愛することができるのかしら。自分の物語を肯定すること…

欲望は、一番身近な他者。すきだから、近づいたのか、さみしいから、近づいたのか、わからなくなるときはある。すきだから、近づいたのか、性欲から、近づいたのか、わからなくなるときだって、あるんじゃないか。いつだって、理性的でいて、自分のことは自…

鉄棒のしずくにふたたび出会ったのは、空気人形を観たとき。心をもった空気人形、ペドゥナが、板尾創路の部屋の窓をあけて、物干し竿についたしずくを指でなぞって落としたとき。わたしのなかのうたまるが、5億点!といった。

しずく

わたしのしずくの原風景。 雨の翌日、校庭の鉄棒の下に、つららのように連なって、くっついていた、しずく。小さい鉄棒から大きい鉄棒まで、指でなぞって歩いて、落としていった。わたしがぜんぶ落とすんだから、誰もさわらないでね、とおもった。 喘息の吸…

ラーメンたべたい

女のひとと、性的な関係を結ぶ可能性がないとわかったとたんに、男のひとの態度が変わることはよくある。このとき、女のひとは友達をひとり失ったような気持ちになる。そもそも友達でもなんでもなかったのだという気持ちになる。あのひとにとっては、わたし…

わたしは、あまりたくさんの男のひとと関係をもつ女のひとの気持ちはわかりませんが、「この歌のような朝帰りの瞬間を何度も味わいたいのよ」というのが理由であるのならば、わかる。ああ、あの瞬間の空気はどうして、まるで霧がたちこめているときのように…

「わたしがわたしであること」の輪郭線をなぞるように、髪を梳かし、服をえらび、香りをまとって、口紅をひく。毎日、毎日、「わたしがわたしであること」を、たしかめている。

わたしは子どものころから団体で行う球技がとてもきらいで、球技大会などは、学校をぬけだしてさぼっていたほどなのですが、大人になってから、仕事で球技に参加しなければならないことが増えてしまい、十数年ぶりに球技がいやでたまりません。それで、どう…

帰るところのないかぐや姫

女のひとの人生は、勝手なことばかり。女のひとは、勝手に女のひとになり、勝手にからだがふっくらし、勝手に血がながれだし、勝手に性欲をいだかれ、子どもをうめば勝手に母になり、勝手に性欲をいだかれなくなり、勝手に血がとまり、勝手に女のひとでなく…

むかしから、ものごとを軽々と飛び越えていく女のひとに憧れていた。 たとえば、山本直樹の漫画の女のひと。学校の屋上で何度もセックスした男のひとからの「このまま東京まで逃げてそこで二人貧しくともつつましく暮らそう」という台詞に、「冗談でしょ?」…

のみかい沼

大人になったら、「どんなひとがすきなの?」という質問に、スマートに答えられるようになるんだろうとおもっていたのに、わたしときたら、いまも、しどろもどろしている。みなさんは、どんなふうに、答えていますか。わたしは、まず、この「どんなひと」と…

「きみのルサンチマンが小さくなるようにおまじないかけてつくったカレーだよ」と言って差し出す

感性をおしえているのに感性が わからなくなって青鞜を穿く。自転車をこぐたび透ける膝のおさらが、夕焼けの色に似ているなとおもう。 「おかあさん、いまの、ずこうの先生だよ。」 おかあさん、わたし、ふるさとをとおく離れて、知らない街で、指をさされて…

拝啓、この手紙、読んでいるあなたは、どこでなにをして、いるのだろう。という歌を、きらいだったのに、大人になると、そんな歌をうたうような気持ちになることもある。 十五のわたし、目がみえなくなる病気になることなんて、考えたことがありましたか。二…

彼から聞く言葉が仕事の愚痴ばかりなことも、別の男の人から食事に誘われていることも、すべてがどこか他人事のようにわたしから乖離していて、また、わたしが、女性としての魅力が乏しいにも関わらず、男の人から言い寄られるのは、ただ“若い女”である、こ…