ストロベリーショートケイクスでたばこの販売機の前にひとり立って「希望は売り切れですか・・」と言う里子は、描かれたから 撮られたから スクリーンに映ってお客さんに観られているから そこに儚く美しく在る。現実のひとも同じだとおもう、誰かに感知されて傍観されていないと美しいとはならないし、そこに在るかどうかも定かじゃない。  今のわたしはまさにそれだ。誰も開けないドアの中にいるわたしは、居ないと同然じゃないのか。猫のインサイトはそれは不自然な考えだよと言ってくれたけどきみも本の中  ごぼうのサラダがうまく作れた今日のわたしを誰か発見してほしい、明日冷蔵庫を開けてごぼうのサラダが存在していなくてもひとりきりのわたしにとってはなんら不思議でない気すらする