妹のピアノの発表会に行くと、ドレスを着ておしゃれした幼稚園生や丁度バイエルをやっているくらいの小学生がたくさんいて、平穏さにぽつねんとした。わたしも少し前までここでショパンを弾いていました。 よく風の通る妹の部屋の風鈴と、広い実家の雰囲気に飲まれて頭がばかになりそうだけど、たぶん、大丈夫 この間ひとりで近くの花火大会に行ったけど、きれいだと思ったのは、花火より、あとに残る花火のかたちの煙だったから。こっちに来てから、太宰治をたくさん読んでいます。人間失格、斜陽、駆け込み訴え、走れメロス、皮膚と心、ダス・ゲマイネ、桜桃、父、あと、なんだっけ それから町田康澁澤龍彦の本も一冊づつ読み始めました。町田康は、文がすごくおもしろいけど、町田康が、かっこいいから、すこしくやしい  本を読んでいると頭になにか増える分、読んでいるときは受け取る作業が中心で自分の思考があんまり働かない。だから本を読む時間が増えるほど、絵のことを考える時間が減ってしまうことになる。考える前に手を動かせるひともいると思うけど、わたしは考えないと手が動かないので、だから、まず考えをたくさん働かさないといけないのに、考えていないから、これは、だめだ  川上未映子が「私にとって小説を書くことはまだ生活において自然じゃなくて事件」というようなことを言っていたけど、わたしもそれに近いのかもしれない まだというか、今では事件 子供のときほど自然だったのに。今では一大事 もう知っちゃったから逃れられないんだっていうことだネ 田山花袋の「露骨なる描写」を読んで、技術を知っちゃったらもう逃れられないんだよかたいちゃんってレポート書いたけど、そのまんまわたし