きょうの読書(太宰治)
つくづく私は、この十年来、感傷に焼けただれてしまっている私自身の腹綿の愚かさを、恥ずかしく思った。叡智を忘れた私のきょうまでの盲目の激情を、醜悪にさえ感じた。 (「新樹の言葉」より)
弱いから、貧しいから、といって必ずしも神はこれを愛さない。その中にも、サタンがいるからである。強さの中にも善が住む。神は、かえってこれを愛する。 (「花燭」より)
わたし、ほんとうはどういうひとが清々しく格好良く、賢く生きているか、なんとなくイメージしている。 でも、まだ19だから、盲目のナントカと一緒に生きている方が健康な気がしていたけど、女だし、この一週間くらい、他人に起こった出来事を自分のトラウマのように捉えて吐き気をもよおすという無意味なことを繰り返していて、これはさすがに変な渦に嵌っているに違いない。 だけど、ほんものの強い人は盲目の激情を通過してきたのだと信じたい。 太宰治がもっと長生きしてたら、もしかして、示してくれたかもしれないのに タモリと赤塚不二夫と、その仲間のミュージシャンや漫画家たちが話している動画を見て、今も新宿のどこか片隅で起こっているかもしれない素敵な刹那主義を想う。瞬間のばかばかしい楽しさと長くかけて培ったものが共存するすばらしさ。