小学生のとき、学級文庫星新一をはじめて読んだ。おもしろくて、かぼちゃの馬車を読んだ、N氏の遊園地を読んだ、マイ国家を読んだ、午後の恐竜も読んだ、星新一編のショートショートも読んだ、1/3という話が、いまも忘れられないのね、それからわたしは、学級文庫星新一を読み終わってしまったからTSUGUMIというよしもとバナナの本を読み始めた。これが、わたし、つまらなくて、自分の少女時代を憧憬するようにしてそれあなた、美しいと思ってるのかもしれないけど、退屈だよって思って途中で読むのをやめたのだ。図書館で借りた、なんとかの庭という本も、女の子が蟻を潰す話で、たしかにわたしも小さいころ蟻を故意に潰したけど、わたし、それを憧憬して美しいなんて思わない、気持ちが悪い、と思って、読むのをやめたのだ。一冊だけ読んだ江国かおりは、少女時代じゃなくて、現在を憧憬しているようにかんじられて、子供のわたしには、それってほんとうは気持ち悪いってわかっていて美化しようとしているの?と胸がムカムカし、読むのをやめた。わたしは星新一に帰っていった。            いまは女の人のする美化の行為がすこしわかる。今までだいたい過去か現在にのみ向けられてきた女の人の美化の行為を、ほししんいちで育ったわたしは、未来に向けることができるかしら     自己を中心にしなければ思考できないじぶんのおんなのあたまがイヤなのだ