自分がいるせいで煩悩が生まれている、自分がいなければ煩悩は生まれなかったのに、とおもうので、自分で自分をとても穢れていると感じるし、不貞を女性に押しつけて殺してしまう文化の、若い女性の存在そのものを穢れとするその感覚は、むしろ女性の中にこそ当人の実感を伴った感覚として存在しているということを、いまわかっています