「大人なんて」の武器も無くなった

なんで、純粋な思考を巡らせてきたはずのわたしはこうも駄目で、盲目のまま形式に乗っかっている人が安心を手にできるんだろう。  このぐるぐるの不条理を、二十歳になってしまった今あらためて思います。  大人になるということは、盲目になることのような気がして怖い、無駄な思考は停止、そんなの、死ねって言われるようなものだと涙が出たけど、そこには不感症のしあわせが待ってる気がしてならない。  顔の赤くなった酒臭い大人に話しかけられ、わたしもこんなやつと同じ括りにされるのかと思うと、喉から涙が出そうになって、やっぱりわたしはこれからも、わりかし辛いばっかりの思考をフル稼働していこうと決めた。