mekab2010-07-28

わたしは理解されきるのが嫌いなのですが、世界を理解した気になっているひとはけっこう好きで、つまりわたしの好きなひとはわたしを理解した気でいるので、それは嫌です。
理解をされている弱いわたしが中心にいる。その外側に、わたしのことを理解した気になっている人が立ち、弱いわたしを見ている。でもそのさらに外側には、その二人を傍観する、掌握する、わたしがいる。  中心のわたしの弱さのこと、それを見る人がほんとうは理解なんて全くできていないということ、すべてを知っているのはもっとも外側にいる大きなわたしである。