わたしは、東浩紀の渦状言論に載っている地震に関する記事にとても同意しています。  石原しんたろうの、天罰という言葉は適さないし、その言葉を使ったら嫌な気持ちになるひとがいるということを想像できていない、その想像力の欠落が最も不快だけど、たしかに、その言葉で言わんとしているような感覚がある、わたしは地震の日、神様に「いい加減気づけ!!!!!!!!!」と殴られたように、急に、いろいろなことに気づいた。  これは、安全な東京にいるわたしだからこその、ぬるい、思考だけど、生まれてはじめての気づきであった。                     コンタクトがほしい。好きな人に会いたい。プルトニウムについて調べる。志望動機は?あなたの長所と短所は?当社に合うと思いますか?それはなぜ?質問はありますか?西武線は昼間は車内の電気を消している。昼の光が、朝日のように車内に射し込んでいた。立花隆は、関東大震災後の経済破綻が戦争につながったと話す。わたしは「怖い絵」シリーズを読む。「だいすき」と言う、しんじゃいやだから。タボガミじゃなくて、タモガミだと知った。安いカニ缶は、磯の香りがしなかった。わたしの高校は、海の間近に建っているけど、つなみの避難訓練なんて、したことなかった。ウドを剥くとアクで手がかゆくなる。かきこわす。クレヨンと色鉛筆と、世界堂で買ったラメのペンで絵を描いたけど、地震以前と全く変わらない絵になった。なにができるのか?絵を描く人に。わたしなんか、いつも問題を自分の中に見出していたタイプなんだ。いつだってわたしには身体があった。余暇の思考の塊だ。「貴重なお話をありがとうございました」顔の湿疹が治らない。証明写真のわたしが醜い。動悸がする。前髪はもっと内巻きにくるんとしてほしい。「電気がなくたって、家族がいれば十分だと思います」この言葉がすべてだと思った。常に考えること。目を開け続けること。でももう寝なきゃ。