ずいぶんと前、教育の授業をはじめて受けたとき、先生に「君たちはゆとり教育を受けてきたわけだが、ゆとり教育は決して悪い点だけしかないわけではない。良い点ももちろんある。それに教育というのは、子供は選ぶことができないんだ。だから自分が受けた教育のことについて、卑屈になったりする必要はない。」と言われ、わたしはなぜだかちょっと涙がでた。ゆとり教育のことをさんざん大人に笑われはしてきたが、こんなふうに真面目にそのことについて言及されたのは本当に初めてのことだったからだ。笑われるたびにイライラしてはいたが、それに反論したら白けるし、反論するそのこと自体がゆとりたる所以と繋がれてしまうのは分かっているのでヘラヘラしていたが、これが自覚以上にずいぶんと貯まっていたようで、涙になって出てきたようです。  かんがえてみれば、その人の力でどうにかできないことを考えなしに悪く言ったりすることはつまり差別だとおもいますから、まあ、ゆとり教育を用いてすごい面白いこと言ってくれるなら冗談にしてもいいけど、そんな能力もないなら軽々しく口にすんなまざーふぁっかーと、きっと今もどこかでだれかをゆとりと罵ってる大人をのろった   しかしゆとり教育を受けてきた世代もそれを面白くもない自虐ネタに使ったり、全然発展性のない議題にしたりするから、ほんと、つまんない。