昔のお母さんたちは、起きて家じゅうの雨戸をあけるだの、ご飯をお釜で炊くだの、洗濯板で布おむつをごしごし洗ったり、大根の泥を洗い流したり、お風呂を沸かす薪をくべたり、子供はたくさん産まなきゃいけないし、それはみんな大忙しだったろうと思い浮かべます。お母さんというそれ自体が、職業だったろうと想像します。    それからいろいろ、いろんなことが便利になって、ご飯もスイッチで炊けるし、おむつは使い捨てでいいし、大根はつるつるで売ってるしで、社会や環境によってお母さんたちはとても楽になりました。お母さんという仕事の量が、少なくなったということです。    お母さんの仕事量が減ったことによって、将来お母さんになるであろう女の子は、その準備のための時間を減らすことができるようになりました。      時間が余ったら、人間自然に、学問するものだと思います。女の子もみんなよく勉強をして、大学まで行ったりするようになりました。大学まで行ったら、そこで学んだことを活かしたくなりますから、仕事をするようになりました。    なんだかそこで気づくような気がします。わたしって母になれるんだろうか、わたしって、ガイアみたいなでっかい母に、果たしてなれるんだろうか、なれるはずだったんだけどなあ。    昔のお母さんたちを思い浮かべると、それはもう太母、ガイアとしかいいようのないような、赦しのかたまりだと感じます。わたしもそれになれる素質を持っていたはずなのに、ふと気づいたら完全に失っていた。男のひとになくて、女のひとにあるのは、このガイアのみだと思うのに、それをもうできなくなってしまったであろう自分に、気づく。

女は子供だけ産んでればいい 女は寄生虫 仕方ないよ女は男より仕事をする能力が元から劣っているんだ とかそんな、ネットにあふれるこの八方ふさがりな女論にたまに出会うと、くだらないのわかっててもイラッとしたあとにけっこうほんとに悲しくなっちゃうので、悲しいのを整理するために。   きっとこの人たち、ガイアには文句言わないんだろうな、と思うのです。しかしきみたち、ガイアなんてめったに生まれることのできない世の中に、なっていると思わない、といつも思うのです。     そんなこと関係なくいつの時代も母が偉大なのはわかっていますが、しかし自分は、自分はもうきっとガイアになれないんだって憂えるわたしや誰かの声です