今まで気むずかしい七面倒くさい対応に疲れているあいだ、三郎がときどき上目づかいに眺めていた悦子は、女ではなくて、何か精神的な怪物であった。何かしらんそれは得体のしれない精神の肉塊であって、悩んだり苦しんだり血を流したり、そうかと思えば喜悦の叫びをあげたりする、あらわな神経組織の塊であった。
三島由紀夫「愛の渇き」

今まで年下の男の子といえば子どもだったのに、最近は年下も大人である。それで、そうしてわたしは年下の大人の男の子としゃべったりすると、自分か三島由紀夫の言うところの、精神的な怪物、精神の肉塊、精神組織の塊にかんじられて、なんて汚いのかしらとおもいながらアイラインが汗で下まぶたにすこしついてしまっているのも構わずにヘラヘラしているのです。