わたしの記憶の中の、すべてのわたし自身が。わたしだけじゃない、わたしが出会ったすべての人たちの、記憶の中のその彼らの姿が。   ヴィト・アコンチのように、原発のカメラを見据えた、あの男のように、わたしをゆび さしている。あるいは「書を捨てよ町へ出よう」の冒頭の青年、「映画館の暗闇の中でそうやって腰かけて待ってたって、何も始まらないよ」と言う、あの青年のように、「なにやってんだよ」を、つきつけてくる。  これは呪いだ。あと少しで水面に手がとどく、そこでついえるわたしの、その足にくくりつけられた、錘だ。