「悟るの悟らないのって、−−そりゃ女だからわたくしには解りませんけれど」

女のひとには純粋な師弟関係が結べない。   男のひととはだめである。ロダンカミーユとは言わないけれど、意識がなくたって、性的なにおいを漂わせてしまうだろう、そうでなくても、男の師が男の弟子に与えるような真の激励を、女の弟子が浴びることはない。   だからといって、女のひとともだめである。女の師は女の弟子に与える愛なんて持っていないじゃないか。「わたしだけで十分よ」というわけなんだから。     女のひとの、性を利用したのし上がり、をうらやむ、うらむ、男の子がいたけれど、彼にはちょっと言ってやりたかった、男の弟子の若さは男の師に受け止められるけど、女のひとの若さはいつか失われる少女的なものとして興奮されるか、理解不能なものとして失笑されるか、そんな場合がほとんどで、性を利用してのし上がろうというのは、そのあきらめからきた手段なんだぞ