子どものうちからなんらかの選択はしていてその裁量はあるけれど、ほとんどは環境とか親とか時とか、本人にはどうしようもできないことによって決定されていくだろう。本人の選択すら周囲に決定されているにすぎないともおもえる。    だからほとんどのひとは“いつのまにか”恵まれているし、“いつのまにか”恵まれていないんだ。   恵まれているひとでも、恵まれていないひとでも、“いつのまにか”という無力さや残酷さを解っていないひとをみると、わたしはさみしさにやられる