ぶすの女の子ほど語られない存在ってあるんだろうか。著名な心理学者はほぼ男の人だとおもうけど、そういうひとはぶすの女の子を語るとすればなんと語るんだろう。   女の子の魅力というのは失われゆくものだけど、代わりに若いうちにはそれを求められ、守られる、だからそれを利用して結婚したっていいし、それを利用してやりたいことににじりよってもいい。ぶすは、利用できるそれがないから、仕方ない、昔は適当な人で手を打って、早めに結婚をしていたのかもしれない。だけど色んなものを観ることができて、高等な教育をほどこされるいま、わたしには利用できる女の子の魅力がないんだ、なら自分の力でやってみよう、という、もてない男の子に似た心情を持つぶすはいっぱいいるはずだ。 自分の力でやってみようと考えはじめたぶす、これほど語られない存在ってあるんだろうか。  だって、ナンシー関は、もてない男の子以上の葛藤を、やってのけたように思えてならない。もてない男の子は、もてない男の子である心理学者に語られている、その裏打ちがあるじゃないか。