父は学研の科学を、もらったその日の下校中に読み終わって帰ってきてしまうような少年だった。父の箱には化石や水晶や、火山岩軽石が詰まっていて、本棚には純文学とSFと、科学と物理と、漫画と、なにかのレースで優勝したらしいトロフィーがいくつもある。運動ができないのにサッカー部で、リフティングばかりが上達し、進学校の高校生になった父は、息子のいない歯医者からの後継ぎの誘いを断った。東京の某大学で上祐と同じ時期、同じ学部にいた父が、一体なにを学んでいたのかは、わたしは「電卓を作った」ことしか知らない。父は大学を中退した。父の高校や大学の同級生は、社長になったり、海外で働いたりしている。父に後悔はないのだろうか。山道で故障し困っていた人の車を、一緒に押して帰ってきたとき、「いい小遣い稼ぎだな、偽善だ」と祖父に言われた高校生の父は、その日部屋から出ることはなかった。本の虫だった父が、ファンタジーばかり読むようになったのを、「もう人生について考えるのをやめてしまったの?」といぶかしく思っていたときもあったけれど、今はわかる。今はよくわかる。90年続いているうちの店はもう斜陽だ。わたしが「博士になりたかった少年の未来を奪ってごめんなさい」と言うと、父は「失礼なこと言うな」と言っていた。幸せだそうだ。