生まれてすぐのわたしを見た母は、「気持ち悪い。これじゃあ恥ずかしくて、お父さんに見せられない」と真っ先に思った。母は可愛い。きっと母は、生まれた子どもを見て「気持ち悪い」と思うくらい、母としての意識が薄いから、可愛いのだ。萩の白い花のあいだから顔をだし、「おしっこよ」と言う『斜陽』のお母さまに、母は似ている。醤油蔵の大きな家の娘。大学でシスターにひざまずくもむなしく留年を宣告されたのち、26歳で父と結婚した母は、そこから祖父に苦しめられることになる。市議員だった祖父の挨拶回り、法事では何百人とくる客の対応、祖父が倒れて嚥下障害を持つようになってからは毎日食事を罵られ、吐きだされた。堪えきれず泣きだした母が、「なんで泣いているかわからないでしょう」と恨めしそうに小学生のわたしを見つめたその顔は、それでもやはり可愛かった。1年前の祖父の通夜、泣く母を親戚は「おじいちゃんも感謝しているわよ」となぐさめたけど、あの涙は祖父のためじゃなく、母の、自身のためのものだった。50歳で『蹴りたい背中』を読み、「わたしのことみたい」と言った母の、中学生のころはじめて自分の脚の間を鏡で映し見たときの話は、なかなかきれいな色でひりひりしている。