女のひとのおおくには、ほんとうはもうすでに自分のからだから剥がれているもの――言葉とか表現とか――について、いつまでも自分とびったりくっついている感覚をいだきつづけるところがあるから、それを批判されると自分を否定されたような気になって、拗ねてしまう。批判しているほうは、もう剥がれているそれについて、言っているだけなのに。そういうわたしも、その場は耐えても、家に帰ってつーっと泣いたりする。   はやく3000字を書かねばならないのですが、このビスタさん、変換キーの調子がおかしくなってしまって、ものすごい力を入れて押さないと、変換してくれなくなってしまいました。ものすごいちからギューッをいれてギューッおさないとギューッへんかんギューッしてくれなくなってしまいました。