どうしても自意識や客観視にからめとられてしまう男のひとが、そんなものから解き放たれてピョイピョイ生きてゆく女のひとに魅せられている様をよく見かける。わたしは自分のことを、ピョイピョイ生きてゆく軽さのない、きたない女のひとであると思っていて、そこはわたしに残された急所であるので、そこを突かれたとき、これからわたしが誰かを好きになったとして、そのひとがピョイピョイ生きてゆく女のひとを好きになることがあったらそのとき、わたしはもう一度世界にふられるのかもしれない。きたれ、ふたたび、死ねないKになる日