「わたしは少なくとも自分の健康をたもつためのお金は稼げるようにならなくちゃいけない」と考えたのは、わたしに矛盾していたのかもしれない。弱いなら、弱いで、すきなことに身をやつし、ぶっこわれてしまったほうが、弱いことを弱いまま享受したということだったのかもしれない。弱いものを弱いままと言いながら、それが強いものを凌駕する瞬間に憧れているようでは、強さを上位に置いているにすぎないと言われた。     わたしは弱さに甘えているし、弱さを半端に撫でているのかもしれない。   わたしどうやら、生きるので必死なんです。生きるので精いっぱいなんです。   かつてわたしの人生に鳴っていたはずの弱さの呪いと祝福が、けっきょく強さを拾いあつめなければ生きてゆくことができない今のわたしに、まだ残っているのか、今夜はもうわからなくて、悲しさでからだをいっぱいにしたいのに、明日も朝6時半に家を出なければいけないというんだから、やっぱり、生きるので必死