サブカルふしぎちゃん」と言われてものすごく腹が立ち「わたしはサブカルふしぎちゃんではない。しんり(真理)ちゃんだ!!」と思うや「えっ、しんりちゃんとはどういうことですか・・・?」と自問が始まって怒りがおさまった。    「どういうことですか・・・?」という自問に対する自答は「わたしはサブカルふしぎちゃんという言葉が表すような、ヴィレヴァンサブカルをこねくり回して満足するようなオレンジ色のチークが濃い子ではありません。わたしはサブカルだろうと文学だろうと美術だろうと、いつだってそれを通して“ほんとう”に触れたいです。だからしんりちゃんです。しんりちゃんと呼びなさい。サブカルふしぎちゃんなどとひとを称しているきみはサブカルこそ“ほんとう”の糸口になりうることに気づかないまま、いつまでも上澄みをすくって遊んでいることでしょう。」だった。    ここまでわたしは「サブカルふしぎちゃん」と言われたことに対する反応をひとつも起こさずカステラを食べ続けているので、はたからみたら「サブカルふしぎちゃん」を受け入れている。わたしとしても「サブカルふしぎちゃん」と言われたことに対する怒りよりもカステラのおいしさのほうが大きいので大丈夫です。わたしは大丈夫です。