感性をおしえているのに感性が わからなくなって青鞜を穿く。自転車をこぐたび透ける膝のおさらが、夕焼けの色に似ているなとおもう。 「おかあさん、いまの、ずこうの先生だよ。」 おかあさん、わたし、ふるさとをとおく離れて、知らない街で、指をさされて名前を呼ばれるようになりました。

拝啓、この手紙、読んでいるあなたは、どこでなにをして、いるのだろう。という歌を、きらいだったのに、大人になると、そんな歌をうたうような気持ちになることもある。  十五のわたし、目がみえなくなる病気になることなんて、考えたことがありましたか。二十七のわたしは、そんな病気に出会っている。「中野五中この一瞬を大切に」  十五のわたし、目がみえなくなる可能性をおもうと、一切のことがいとおしくなるのを知っていますか。どうしてあんな派手に塗装してしまったのかしらとおもうアパートのピンク色。としまえんの広告のなかで笑う、マリリン・モンロー。きっとこれからデートに向かうにちがいない、女の子の、うつむく目に、細く、長く、のびている睫毛。駅のホームから、線路にかけて、小さなはしごのようなものがついている、きっと、あれは小人が落下したときのための、避難経路・・・    二十七のわたしは、いろんなことがいとおしくて、電車にのるだけで、胸がいっぱいです。  「中野五中この一瞬を大切に」  西武新宿線から見えるの   「中野五中この一瞬を大切に」      十五のわたし、まだ、東海道線しか、知らないんでしょう。

彼から聞く言葉が仕事の愚痴ばかりなことも、別の男の人から食事に誘われていることも、すべてがどこか他人事のようにわたしから乖離していて、また、わたしが、女性としての魅力が乏しいにも関わらず、男の人から言い寄られるのは、ただ“若い女”である、この一点によるものであることが虚しく、わたしは、明日着る紺色の洋服に、何色の口紅をするかだけを、かんがえていたい。

夜、ひとり、よく知らない、千葉の海辺で、花火の支度をしていた。
100数名の子供たちのためである。
錆びたバケツの中にろうをたらして、ろうそくを立てる。
真っ黒い海から、風が吹いてくる。
気持ちいい。
大人はときどき、胸がいっぱいになる。


「海に帰りたい」と思った。
「月を見るたび嘆いた、かぐや姫も、こんな気持ちだったのかしら」と思った。


わたしにも、かぐや姫のような物語がほしい。
わたしの胸をときどきいっぱいにするこのもやもやの正体が、海の国をおもう寂しさであったらいいのに。
わたしにも、かぐや姫のような物語がほしい。
この胸をいっぱいにするもやもやの正体が、ただの疲労であっては、いけない。
どうかもやもやの正体が、かぐや姫のような、物語でありますように。
大人はときどき、胸がいっぱいになる。
ビルの屋上で、たばこを吸っている大人。
高架線を走る電車の窓から、家々の屋根を眺めている大人。
一人分の夕食を買って、誰もいないアパートのドアの鍵をあけている大人。
大人。大人たちの胸を、ときどきいっぱいにするこのもやもやが、ただの疲労では、いけない。
ひとつひとつに、かぐや姫のような物語がありますように。
そうではければ、そうでなくちゃあ、そうでなくちゃあ


ああ、子供たちの声が聞こえてきた。
このチャッカマンはつきが悪い。

働きはじめて半年、やっと少しの余裕ができて、カーテンを買いかえた。刺繍の入ったレースのカーテン。わたしの買った、刺繍の入ったレースのカーテンが揺れている。 刺繍の入ったレースのカーテンは、わたしの思考をゆるさない。働きはじめてからの半年で、新宿ではひとが燃えたような気がする、美術館にいくたび、わたしは涙を落としていたような気がする、男の人からきた何十件もの着信で、怯えていたような気もする。 すべては刺繍の入ったレースのカーテンが、揺れるたびにかき消していく。いったいそんなことあったかな。揺れるたびに消えていく。 「あなたにあったのは、働いたことと、買ったこと。働いたことと、買ったこと。」