高校の同級生に会って「なんだかどんどん浮世離れしていくね。よしその調子でもっとやれ。」と言われたわたしが、そう言われるとちょっとイヤな気分になるし、あまりそうしたくないし、もうそうするしかないような状況なのに世を捨てきれないのは、“家”があるからだ。わたしの家にはいろんな親戚が集まる。季節のお飾りを仕込まれている。床の間の隣にしまってある掛け軸の種類を把握している。小さい頃から客人にお茶を運んだりお辞儀をさせられてきた。そんなことでじわじわと滲みこまされた呪いみたいな家は、いつだってわたしの帰る場所として在る。死んだ人たちがわたしを見ている。もし土地がなくなっても、家族が死んでしまっても、見られている感覚はきっとずっとある。「いつか一人になる」という世を捨てる人のその諦めみたいな決意を、わたしは一生持つことはないだろうって、トリックに出てくる気持ち悪い田舎を薄めたような土着的な感覚を持つことができてること、ちょっといつもニヤッとする