うつくしい音楽や絵や文章をつくるひとが死んでしまうと、ある個人を亡くした感傷よりも、わたしの世界のある魅力的な現象を失くした惜しさをつよくかんじる。
わたしにかんじられるものを、わたしと世界、のふたつに分けたとき、他人はある個人というよりも、わたしの目の前に現れては立ち消えていく、世界のなかの現象のひとつでしかない。うつくしい音楽や絵や文章をつくるひとが死んでしまったとき、これをつよくかんじる。
4年前、同級生の美人の女の子が、わたしとあるもう1人の女の子の絵について、「−ちゃんと−ちゃんの絵は、樹みたい。ほかのは、樹になれてない。」と言った。きっと彼女にとってこのときのわたしとあるもう1人の女の子の絵は、世界のなかの現象のひとつたりえたのだとおもう。世界のなかの現象のひとつということを、樹と表したのだとおもう。
うつくしい音楽や絵や文章をつくるひとが死んでしまうことは、わたしの世界の片鱗が欠けてしまうこと。