祖父が死んだとき、悲しいのといっしょに、そもそも祖父という存在はあったのだろうかと考え込んでしまったのは、死んでしまった現在と変わらないくらい、生きていたときの祖父もわたしと別の存在だったということに気づいたからだった   わたしたちの孤独なのは、生者に囲まれていても、死者に囲まれていても、大差ないのかもしれないと思いながら、それでも祖父を弔いたいこの気持ちが、生きているってことなんだろうと、わたしは、毎日毎日、枕花の、紫陽花の、水をかえた