mekab2017-08-24

むかしから、ものごとを軽々と飛び越えていく女のひとに憧れていた。   たとえば、山本直樹の漫画の女のひと。学校の屋上で何度もセックスした男のひとからの「このまま東京まで逃げてそこで二人貧しくともつつましく暮らそう」という台詞に、「冗談でしょ?」と返答し、東京の大学に進学しふつーの薬剤師になっていく九谷さん。「ドライブに行こう」と昔の男のひとのアパートを訪ね、海へ向かい、ホテルで過ごした夕暮れに、「またドライブ行こーぜ」という誘いに「ばーか」と答える既婚者のイマムラ。   なにものかになることを恐れず、なにものかでなくなることも恐れず、ものごとを軽々と飛び越えていく女のひと。悲しさは、男のひとのみに残る。男のひとだけが、そこへ取り残されたかのように、立ち尽くす。   むかしから、そういう女のひとに憧れていた。   最近、友だちが結婚をしたり、子どもを生んだりしている。わたしは、結婚をしたり、子どもを生んだりすることが、こわい。わたしが、なにものかになってしまったり、わたしが、わたしでなくなってしまったり、するんじゃないかとおもうと、こわい。    わたしはいまも、憧れの、ものごとを軽々と飛び越えていく女のひとには、ほど遠い。母校の学園祭で九谷さんの幻影を見る灰野のように、イマムラの「ばーか」の一言に目をまんまるにするキタジマのように、ずっと、同じところに、立ち尽くし、女のひとたちの背中を、ながめている。    「明日また電話するよ」なんて言うから、「また」が途切れることをわかってしまうんだ。途切れることも、始まることも、わすれたい。

明日また電話するよ