帰るところのないかぐや姫

mekab2017-10-06

女のひとの人生は、勝手なことばかり。女のひとは、勝手に女のひとになり、勝手にからだがふっくらし、勝手に血がながれだし、勝手に性欲をいだかれ、子どもをうめば勝手に母になり、勝手に性欲をいだかれなくなり、勝手に血がとまり、勝手に女のひとでなくなる。   こんなに勝手なことばかりだから、女のひとの人生には「わたしは誰?」がつきまとう。     「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」で嘆かれているのは、容貌の衰えだけではなく、自分ではどうすることもできない、女のひとの人生の変化、すべてなんじゃないかしら。小野小町も、わたしたちと同じように、長雨をぼんやりと眺めながら、「わたしは誰?」と泣いていたんじゃないかしら。     わたしがわたしであることを、わたしが女のひとであることを、自分できめたいだけなのに、上手にできないまま、28年も経ってしまった。今夜の雨は冷たい。月は見えない。