先生はたしかに「胸をよせろ」と言って腕を掴んだのだった。ムルソーが、ラスコーリニコフが、人を殺した日のように、真夏の金色の陽射しが真っ黒い影をつくって地面を焦がしていた。2人以外誰もいないプールの真ん中、アブラゼミの声と運動部の声、入道雲と、防砂林と、枯れてうな垂れたヒマワリと、足の裏で感じた塩素の錠剤。あの瞬間たしかにわたしは女の人としていた。ショートカットにし始めたのはあの頃からか。母は、わたしが髪を切るたびに悲しそうな顔をして、ちっとも女の人としてだめであると言う、それだのに、わたしが黒いワンピースを着ると「わたしよりもお姉さんみたいね」とうらめしそうな顔をするのだからわからない。葬式、祖父が火葬されているあいだ、いったい飲みたいのかもわからない煎茶を、大叔母に言われるままににこにことついでまわり、「娘さんですか」「娘さんですか」と言われたあのとき、わたしは「娘さん」以外の何者であったか? 冬の朝は、アイラインのインクが冷えていて、まつげのあいだがひんやりする。わたしの、ただ女の人である部分と、女の人であることを差し引いても残る部分の境目に、線を引く。 美しくなくても女の人は女の人である。張りつめて生きる。 だけどもしわたし、美しい女の人に生まれていたら、たくさんの人と簡単に寝て、どんなに汚い欲望をぶちまけられようともびくともしないで悲しみもせず、ひょうひょうと無表情で下着をつけて部屋をでてゆく、そんなきれいな後ろ姿をしたかったな