mekab2007-02-11

こんなにも、こんなにもこんなにも、こんなにも、わたしという人は、がんばってもがんばっても努力しても努力しても実ることなく人に褒められることも無くそれどころか気付かれることもないなんて、もうこれはわたしが、 透 明 人 間 だと思うほかありません。そうよ、わたしは確実に、透明人間である。


わたしはいつもみんなと喋っていると思ってました。それは勘違い。世の中の人たちはわたしが思っているよりもはるかに独り言が多いのです。わたしがみんなと喋っていると思っていたこと、それはみんなの独り言だったのです。みんなの独り言に、わたしが勝手に応答していただけ。偶然に、つじつまの合っていただけだったのです。


わたしのクラスにはわたしの机があるんだと思っていました。それは勘違い。世の中の学校というものは、クラスの生徒数よりもひとつ多く机を出しておくことが常識だったのです。わたしが毎日使っていたその机は、その常識において出されていた机だったのです。わたしの机ではなかったのです。


わたしは毎朝洋服を選んで、髪を梳いていました。それは無駄だったんですね。誰にも見えないんだもの。どんなに綺麗な靴を履いたって、無駄だったんですね。だって誰にも見えないんだもの。わたしの、外見への悩みなんて、無駄なことといったらなかったんですね。だって、誰にも見えたためしがないんだもの。


わたしはよく絵を描きます。でもあの絵は、全部わたしの絵じゃなかったのね。世の中には放っておくと買ってに絵が描かれていくキャンバスというものが売っていて、わたしの前にはそれが置いてあっただけだったのです。わたしが丁寧に選んだ緑も赤も、全部全部、キャンバスにプログラムされたものだったのね。わたしが描いたものだって勘違いしていました。


ああわたしはばかね。透明人間だというのに、今もこうやってパソコンを打っている。これは私の考えた文章ではなく、世の中には誰も考えてもいない文章がインターネット上に流れることがあるのだというのに。わたしは、わたしが考えた文章だと思い込み、今打ち込んでいる。無駄だ、誰もわたしの存在に気付きはしないのだから。直ちにやめよう、試行錯誤したところで誰もわたしに気付いてはくれないのだから。やめて、この、考える、というわたしの無駄な行為、やめて、考えるだけ、辛くなるだけ


それでもわたしは考える。誰にも気付かれないと知っていても、考えるという行為は止められない。考えるカタマリ。 考える空気  わたしは透明人間である