女の子の内面に期待する男の子からモテないかんじが漂うように、男の子から内面を期待されていると感じて浮かれる女の子からもまたモテないかんじが漂う。 サークルクラッシュされている男の子が「この子こそ」と思うのも、サークルクラッシュしている自分に恍惚とする女の子が「わたしだからこそ」と思うのも、どこか相手のなかに自分を見ている。 モテるかんじのするひとというのは、畢竟、誰でもよいというひとなのかもしれない。誰でもよいとわかってはじめて、誰でもよくないひとを見つけられるような気がする