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「わたしがわたしであること」の輪郭線をなぞるように、髪を梳かし、服をえらび、香りをまとって、口紅をひく。毎日、毎日、「わたしがわたしであること」を、たしかめている。
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わたしは子どものころから団体で行う球技がとてもきらいで、球技大会などは、学校をぬけだしてさぼっていたほどなのですが、大人になってから、仕事で球技に参加しなければならないことが増えてしまい、十数年ぶりに球技がいやでたまりません。それで、どうしてこんなにも球技がきらいなのか考えました。
1.痛い
球が痛いです。ラケットやバットから伝わる球の衝撃の痛みもさることながら、バレーボールやバスケットボールなどの、球が直接体にあたる競技の痛みには、わたしの体は対応するようにつくられていません。
2.感情を強要される
ゴールをしたときの喜び、負けたときの悔しさなどの感情を、チームメイトから半ば強要されますが、気持ちが追いつきません。気持ちが追いついていないので、ゴールした後のハイタッチに間に合いません。
3.他人が設けたルールの上で努力することにモチベーションをもてない
あの網の中に球を入れるというルールを誰かが設けたからこの活動に意味があることになっているけれど… そんなルールが設けられてない並行世界があったとする… 並行世界では、「なにあの人たち網の中に球入れようとしてるの?」と思われるだろう…
4.球を必死になって追いかけたくない
球を必死になって追いかけたくない!
帰るところのないかぐや姫
女のひとの人生は、勝手なことばかり。女のひとは、勝手に女のひとになり、勝手にからだがふっくらし、勝手に血がながれだし、勝手に性欲をいだかれ、子どもをうめば勝手に母になり、勝手に性欲をいだかれなくなり、勝手に血がとまり、勝手に女のひとでなくなる。 こんなに勝手なことばかりだから、女のひとの人生には「わたしは誰?」がつきまとう。 「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」で嘆かれているのは、容貌の衰えだけではなく、自分ではどうすることもできない、女のひとの人生の変化、すべてなんじゃないかしら。小野小町も、わたしたちと同じように、長雨をぼんやりと眺めながら、「わたしは誰?」と泣いていたんじゃないかしら。 わたしがわたしであることを、わたしが女のひとであることを、自分できめたいだけなのに、上手にできないまま、28年も経ってしまった。今夜の雨は冷たい。月は見えない。
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むかしから、ものごとを軽々と飛び越えていく女のひとに憧れていた。 たとえば、山本直樹の漫画の女のひと。学校の屋上で何度もセックスした男のひとからの「このまま東京まで逃げてそこで二人貧しくともつつましく暮らそう」という台詞に、「冗談でしょ?」と返答し、東京の大学に進学しふつーの薬剤師になっていく九谷さん。「ドライブに行こう」と昔の男のひとのアパートを訪ね、海へ向かい、ホテルで過ごした夕暮れに、「またドライブ行こーぜ」という誘いに「ばーか」と答える既婚者のイマムラ。 なにものかになることを恐れず、なにものかでなくなることも恐れず、ものごとを軽々と飛び越えていく女のひと。悲しさは、男のひとのみに残る。男のひとだけが、そこへ取り残されたかのように、立ち尽くす。 むかしから、そういう女のひとに憧れていた。 最近、友だちが結婚をしたり、子どもを生んだりしている。わたしは、結婚をしたり、子どもを生んだりすることが、こわい。わたしが、なにものかになってしまったり、わたしが、わたしでなくなってしまったり、するんじゃないかとおもうと、こわい。 わたしはいまも、憧れの、ものごとを軽々と飛び越えていく女のひとには、ほど遠い。母校の学園祭で九谷さんの幻影を見る灰野のように、イマムラの「ばーか」の一言に目をまんまるにするキタジマのように、ずっと、同じところに、立ち尽くし、女のひとたちの背中を、ながめている。 「明日また電話するよ」なんて言うから、「また」が途切れることをわかってしまうんだ。途切れることも、始まることも、わすれたい。
のみかい沼
大人になったら、「どんなひとがすきなの?」という質問に、スマートに答えられるようになるんだろうとおもっていたのに、わたしときたら、いまも、しどろもどろしている。みなさんは、どんなふうに、答えていますか。わたしは、まず、この「どんなひと」という曖昧な対象がわからない。そのような曖昧な対象に恋いこがれたことがない。「背が高いひとがすき?」いやあ…「スポーツができるひとがすき?」いやあ… しどろもどろするほどに場が白けていくのを感じながら、ほんとうにわからない。背が高い“誰か”のことが、スポーツができる“誰か”のことが、そんな曖昧な”誰か”のことが、すきかどうかをどうして判断できるのか、わたしはわからない。 向井理とでも星野源とでもこたえておけばすんだ時間が1分2分とすぎてゆき、このゴールがみえないやりとりに飽きたひとが、わたしへ「ミステリアス」の形容詞をあたえたところで話は終わりをむかえる。 だけど、まだまだ沼はふかい、次はこうです、「〇〇さんてミステリアスだよね、休みの日なにしてるの?」……