今日は午前中から友だちとぽかぽかして気持ちいいねとずっと散歩をしていた、そうして、おすしも食べた

こんなに恵まれているのに、わたしは今またゲッと喉から何かこみ上げるようで、それと同時に涙が滲むという、うさんくさい不幸せをやっていて、それはもう恵みに対して申し訳ない気持ちにいつもなるのだけど、これは時代的に必然なんだとおもう。     戦争や飢餓のある時代は、社会に対しての悲しみや不満や鬱屈や怒りが人の思考の大半を占めることになるだろうけど、今の日本では基本的にほとんどすべての人がある程度落ち着いた生活を保障されていて、そうなると、向き合う対象はどうしても自分になる。     戦争の時代を生きていた人たちからすれば、これはとてもみみっちい思考なのだとおもうけど、今の時代の人の思考の内へ内へ向かう深さといったら、それは戦争の時代の人たちにもしかしたら勝てるくらい、すごいんじゃないだろうか。    昔より微妙なものを掬いだそうとしている。線が薄くなる、色が淡くなる  そこには弱くない、強靭さがあると信じる。   哲学の生まれる音がする。